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横浜映画ボーイ

映画の分析と感想を書きます。時々脚本も。

「ディープブルー」 1999年 米国 5点/10点

 

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映画『ディープブルー』(1999年)予告編

 

 

 

物語のジャンル

家の中のモンスター

 

ログライン

孤立した海上施設で研究員たちが遺伝子操作で脳が巨大化したサメに襲われる。

 

登場人物

スーザン:アルツハイマー研究者

カーター:アクアティカ及びサメの管理人

ラッセル:アクアティカに投資をしている製薬会社社長

ジャニス:アクアティカ研究員

ジム  :アクアティカ研究員。ジャニスの恋人。

スコギンズ:アクアティカ設備担当

プリーチャー:アクアティカの料理人

 

構成

オープニング(オープニング・インシデント)

・2組のカップルがボート上でいちゃついている所をサメに襲われる。

・カーターがアクアティカから逃げ出したそのサメを捕まえる。

 

セットアップ

・事件をきっかけにラッセルがアクアティカの閉鎖と研究への投資引き上げをスーザンに通告する。

・スーザンは週明けまでに結果を出すと約束する(時間制限)

・スーザンがアルツハイマーの研究する動機が語られる。

・スーザンとともにラッセルがアクアティカを訪れる(施設を説明する場合、外部から人間を連れてくると上手くいく。例:ジュラシックパーク

・登場人物、全員登場

・時間の枷をはめられたスーザンの焦りと倫理観の欠如振り

・枷の定番、「嵐」が近づいてくる

・予定に反対する人たち。カーターとジム。(予定通り進むとドラマにならない。反対する人物が必要)

 

第1ターニングポイント

・実験中にサメがジムの腕を食いちぎる

・救援のヘリが墜落しアクアティカの海上部分が爆発炎上する。主人公たちは海中施設に閉じ込められる。

・海水が流入してくる。

・「予定された世界」から「予定外の世界」へ

 

・予定された世界の目的ーサメの脳からアルツハイマー治療のたんぱく質を取り出す。

・予定外の世界の目的ー押し寄せる海水と襲い掛かるサメから逃げ、海上に上がる。

 

サブプロット

・料理人のプリーチャー

・メインの流れと違う行動する人間は必要。時間の省略などができる。

・衝撃の第1ターニングポイントからはしばらく会話などでクールダウン

・カーター、スーザン、ラッセルの会話。スーザンがサメの遺伝子をいじってサメの脳を巨大化させたことを告白(原因)。サメの目的は?(敵の目的)。

 

お楽しみ

・サメに襲われる人々。観客は人間がサメに食われる場面を見に来ている。

・サメと戦うプリーチャー。3匹中1匹を倒す。

・ラッセルがサメに食われる

・ジャニスも食われる

 

ミッドポイント

・プリーチャーがスーザン一行と合流

 

・ジャニスの部屋で小休憩。衝撃のシークエンス後は必ずクールダウンするシーンを入れる

 

迫りくる悪いやつら

・カーターとスコギンズは排水設備を作動させに、スーザンは自室にデータを取りに行く

・どちらもサメに襲われる。スコギンズ死亡。

 

全てを失って

・スーザンもサメに襲われる。「死の気配」。電流でサメを倒すが、何よりも大事なデータも失う。

 

心の暗闇

・スーザンは燃えたデータを見つめる。自分と向き合う。

 

第2ターニングポイント

・3人は再び合流し、排水設備を使って海上に向かって泳ぐ

・最後のサメに襲われる

 

フィナーレ

・プリーチャーが足をかまれるが自力で脱出

・アクアティカが崩壊する中で、サメは柵の外へ出ようとしている。

・それを阻止しようとするスーザンとカーター

・カーターが銛を打とうとするが遠くて届かない。

・スーザンが自身を餌にサメをおびき寄せるが、食われてしまう。

・助けようとしたカーターもサメに襲われるが背びれになんとかしがみつく

・プリーチャーが銛を打ち、刺さり、サメは爆発する。

 

ファイナルイメージ

・カーターとプリーチャーが生き残り、精根尽き果てた様子で助かったことを喜ぶ

 

感想

「オープニングインシデント」という存在に気付く。物語というのはテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼの三幕で構成されている。具体的に言うなら、予定された世界に事件が起こり予定外の世界に突入し、予定された世界と予定外の世界が融合し新しい世界が生まれる、ということだ。ただ、全くの日常から事件が起きるケースと冒頭に事件が起きて既に日常世界に影響を与えているケースがある。「オープニングインシデント」とは後者のケースの事をさす。(例:りんぐ、遊星からの物体X等)

 

映画としては面白くなかった。その原因を考えるとやはり主人公が定まっていないからということになるのだろう。

「誰の、何についての話なのか?」

カーターははじめからマッチョで思慮深く「変化」していないので主人公ではない。となると主人公はスーザンとなる。しかし、スーザンは全く自分で問題を解決しない。障害を取り除くのはもっぱらカーターである。最初、研究第一だったのにデータを失ってサメを殺すことを主張するので「変化」はある。しかし、彼女には意思がない。非常に受身である。変化しないマッチョキャラと後半まで全く受身な女研究員。どこにドラマがあるのだろう。

 

そして何より料理人兼神父のプリーチャーがダメ。この人も最後まで変化しないが、そんなことよりも演じているLLクールJに知性が全く感じられない。ラッパーだからしょうがないのだが、知性の感じられない人間に聖書の言葉を語らせてもしらけるばかりだ。神父が主人公だったポセイドンアドベンチャーを意識しているのだろうが、まあ失敗している。説得力がない。

 

どんな映画でも観客は、人物の「変化」に感情移入する。変化こそがドラマなのだ。予定通りの世界のまま終わったり、登場人物が変化しないまま終わったりするのはドラマではない。それはどんな物語にも言える。この映画はそのことを改めて確認させてくれた。